一つの花



◆一つの花◆(4年生下)
〜今西祐行 作〜



「ひとつだけちょうだい」

これが、ゆみ子のはっきり覚えた最初の言葉でした。

まだ戦争がはげしかったころのことです。

そのころは、おまんじゅうだの、キャラメルだの、チョコレートだの、そんなものはどこへ行ってもありませんでした。食べる物といえば、お米のかわりに配給される、おいもや豆やかぼちゃしかありませんでした。

毎日、てきの飛行機が飛んできて、ばくだんを落としていきました。

町は、次々に焼かれて、はいになっていきました。

ゆみ子は、いつもおなかをすかしていたのでしょうか。ご飯のときでも、おやつのときでも、もっともっとと言って、いくらでもほしがるのでした。

すると、ゆみ子のお母さんは、

「じゃあね、一つだけよ。」

と言って、自分の分から一つ、ゆみ子に分けてくれるのでした。

「一つだけ・・・・。一つだけ・・・・。」

と、これが、お母さんの口ぐせになってしまいました。ゆみ子は、知らず知らずのうちに、お母さんのこの口ぐせを覚えてしまったのです。

「なんてかわいそうな子でしょうね。一つだけちょうだいと言えば、なんでももらえると思ってるのね。」

あるとき、お母さんが言いました。

すると、お父さんが、深いため息をついて言いました。

「この子は、一生、みんなちょうだい、山ほどちょうだいと言って、両手を出すことを知らずにすごすかもしれないね。一つだけのいも、一つだけのにぎり飯、一つだけのかぼちゃのにつけ・・・。みんな一つだけ。一つだけの喜びさ。いや、喜びなんて、一つだってもらえないかもしれないんだね。いったい、大きくなって、どんな子に育つだろう。」

そんなとき、お父さんは、ゆみ子をめちゃくちゃに高い高いをするのでした。

それから間もなく、あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも、戦争に行かなければならない日がやってきました。

お父さんが、戦争に行く日、ゆみ子は、お母さんにおぶわれて、遠い汽車の駅まで送っていきました。頭には、お母さんの作ってくれた、わた入れの防空頭巾をかぶっていきました。

お母さんのかたにかかっているかばんには、包帯、お薬、配給のきっぷ、そして、大事なお米で作ったおにぎりが入っていました。

ゆみ子、おにぎりが入っているのをちゃあんと知っていましたので、

一つだけちょうだい、おじぎり、一つだけちょうだい。」

と言って、駅につくまでにみんな食べてしまいました。お母さんは戦争に行くお父さんに、ゆみ子の泣き顔を見せたくなかったのでしょうか。

駅には、ほかにも戦争に行く人があって、人ごみの中から、ときどきばんざいの声が起こりました。また、別の方からは、たえず勇ましい軍歌が聞こえてきました。

ゆみ子とお母さんのほかに見送りのないお父さんは、プラットホームのはしの方で、ゆみ子をだいて、そんなばんざいや軍歌の声に合わせて、小さくばんざいをしていたり、歌を歌っていたりしていました。まるで、戦争になんか行く人ではないかのように。

ところが、いよいよ汽車が入ってくるというときになって、またゆみ子の「一つだけちょうだい。」が始まったのです。

「みんなおやりよ、母さん。おにぎりを・・・・。」

お父さんが言いました。

「ええ、もう食べちゃったんですの・・・・。ゆみちゃん、いいわねえ。お父ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって。ばんざあいって・・・・。」

お母さんは、そう言ってゆみ子をあやしましたが、ゆみ子は、とうとう泣きだしてしまいました。

「一つだけ。一つだけ。」

と言って。

お母さんが、ゆみ子を一生けんめいあやしているうちに、お父さんが、ぷいといなくなってしまいました。

お父さんは、プラットホームのはしっぽの、ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていたコスモスの花を見つけたのです。あわてて帰ってきたお父さんの手には、一輪のコスモスの花がありました。

「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよう・・・・。」

ゆみ子は、お父さんに花をもらうと、キャッキャッと足をばたつかせて喜びました。

お父さんは、それを見てにっこり笑うと、何も言わずに、汽車に乗って行ってしまいました。ゆみ子のにぎっている、一つの花を見つめながら・・・・。


それから、十年の年月がすぎました。

ゆみ子は、お父さんの顔を覚えていません。自分にお父さんがあったことも、あるいは知らないのかもしれません。

でも、今、ゆみ子のとんとんぶきの小さな家は、コスモスの花でいっぱいに包まれています。

そこから、ミシンの音が、たえず速くなったり、おそくなったり、まるで、何かをお話しているかのように、聞こえてきます。それは、あのお母さんでしょうか。

「母さん、お肉とお魚とどっちがいいの。」

と、ゆみ子の高い声が、コスモスの中から聞こえてきました。

すると、ミシンの音がしばらくやみました。

やがて、ミシンの音がまたいそがしく始まったとき、買い物かごをさげたゆみ子が、スキップをしながら、コスモスのトンネルをくぐって出てきました。そして、町の方へ行きました。

今日は日曜日、ゆみ子が小さなお母さんになって、お昼を作る日です。




国語の教科書に戻る


[PR]《フレッツ光》+無料パソコン:今なら無料でパソコンGET!